« 2007年12月 | トップページ | 2008年2月 »

2008年1月

特志

特志


本日10時30分より、黒住教立教194年・神道山ご遷座34年“道づれ新春開運祈願祭”が執行されました。

一昔前は“特志信徒祭”と呼ばれていた今日の御祭は、各地より集ったお道づれ(信者)にとって今年初めての大教殿参拝の方が多く、あちらこちらで新年の挨拶が飛びかっていました。

特志

さて、本日の御祭には2曲の吉備舞が奉納されました。

「御神楽(みかぐら)女舞」「御神楽男舞」です。

この舞楽は、明治23年より今日まで大元・宗忠神社で執り行われている“大々御神楽”の中で奉納されている曲です。

伊勢神宮並びに明治政府より、当時特別の御裁可をいただいたと伝えられています。

また、この男舞は平安時代より宮中で行われる御神楽の中の長(おさ)が着る“人長(にんちょう)”という装束を着けることから“人長舞”とも言われています。

この男舞は、教祖宗忠神の詠まれた『誠には剣(つるぎ)もたたず矢もたたず 火にさえ焼けず水に溺れず』の御歌が振付けられています。

特志

「御神楽女舞」(歌詞)
手を伸して手を伸して うたえやうたえ八百よろづ
神もうたえやあなたのし あな面白やあなさけや
おけの木の葉を手ぐさとし さなぎの矛を手にもたし
岩戸の前に汗気伏せて 踏みとどろこしうたいまい
神楽たまいし宮の賣の 神の命の俳優の
そのおもかげをうつし世の 今も見るとはあな嬉し
あな面白やあな楽し あな有がたや有がたや(楽譜原文のまま)

特志

「御神楽男舞」
まことには剣もたたず矢もたたず 火にさえ焼けず水に溺れず
かく詠み給いし其故は 天てる神の活物の
活し給いし其誠 誠一つになりぬれは
神の御心人心 二つなければ生通し
活し通しの道なれば 取りな外しそ人々よ(楽譜原文のまま)

《本日の御教え》
  嬉しやと思う心を朝夕に 忘れざりせばすぐに神徳(教祖神詠)

| | コメント (0)

仕事始め

仕事始め

新年三が日も無事終わり、本日は“仕事始め”ということで、会社の開運を祈る新春御祈念が朝から続きました。

さて“新年”を、祝詞では“改玉(あらたま)の年”と表現します。

“あらたま”“新玉”“粗玉”“荒玉”とも書き表わし、掘り出したままで磨かれていない玉という意味を持ちます。

つまり、まだ磨きあげられてない年、これから一年かけて大切に磨きあげていく年というわけです。

また“あらたま”は春、月、日などの枕詞でもあります。

時の流れを大切にする昔の人々の思いが溢れた素晴らしい言葉ですね。

仕事始め

ところで、皆様はお雑煮をいただきましたか?

元来雑煮は、神様にお供えした御神酒や神饌(しんせん)を祭典の後に下げ、祭典に携わった人たちで共に食べるという意味の“直会(なおらい)”といわれ、家族揃っていただいていました。

昔の人は、大晦日の夜“歳神様(としがみさま)”のために餅や魚、野菜などをお供えしました。

それを元旦の朝に下げ、若水(その年最初に汲まれたお水)で煮たものを家族揃って食べたのが、雑煮の始まりとされています。

神様へのお供え物をいただくということは、神様の御徳の込められた物をいただくという神聖な行事です。

人々は雑煮を食べて、ひととせの無病息災を祈りました。

また、雑煮をいただくときは常日頃使っている箸は使わず、白木の丸箸を使うのがしきたりです。

この箸は“柳箸”といわれるもので、白木を柳に見立てています。

柳は、どんな強い風にも耐えて折れないので縁起がよいとされ、また邪気を祓う聖木ともされています。

柳箸はふつうの箸と異なって、両端が丸く削られています。

これは、神様と一緒に食事をするという意味があり、一方を神様がお使いになり、もう一方を人間が使うといわれています。

お雑煮ひとつとっても、一昔前には神様と人間は共存していました。

今の世の中はどうでしょう。

言葉は“言霊(ことだま)”と言いますが、どうせ日本語を喋るのであれば正しい意味を理解し、心清らかに使いたいものです。

仕事始め

子(ね)の年

正に“あらたま”の気持ちで、初心に帰って、この平成20年代のスタートを飾りましょう。

《本日の御教え》
  改玉の年のはじめの今日よりは 萬の宝こころまかせに(教祖神詠)

| | コメント (1)

平成20年

平成20年

新年明けましておめでとうございます。

皆様には、佳き初春をお迎えのこととお慶び申し上げます。

皇紀2668年・平成20年「戊子(つちのえね)」の年。

古来、干支の始まりの「子」の年は、ものが生まれかわるとき、新しく始まる年といわれてきています。

しかも教祖神は安永9年(庚子/かのえね)、11月(戊子)26日(庚子)の年月日にすべて子のつく日にお生れになりました。

まさに平成20年代の始まりの年であり、いわば教祖神の年です。

平成20年

全ての教師・道づれが愛教の真心で伊勢神宮へ一層の報恩の誠を捧げ、もって平成26年の“立教二百年記念大祝祭”を無事有り難くお迎えするべく、スタートの年となるようお祈りいたします。

さて本年最初は、黒住教の機関誌『日新(にっしん)』より第六代黒住宗晴教主様“道ごころ”をお届けいたします。

平成20年

  「御開運の祈り」

                                                     教主 黒住宗晴

謹賀新年
お道づれの皆様はよくご存じのように、伊勢神宮と本教とのご神縁は、教祖神がご在世中につとめられた6度のが参宮に始まります。
江戸時代の当時、参拝に往復ひと月もかかるお伊勢参りは大変なことでした。
“生涯に一度は伊勢に参りたや”という願いを持った人の多い時代でしたが、遠く離れた備前岡山から6度までということは稀なことで、あるご参宮の折、伊勢の神職の方から「度々のお参りとお見受けしますが、何か特別の願いごとがあってのお参りですか」と尋ねられたとき、教祖神はいずまいを正されて「私の願いは唯ひとつです」と言われ、
「謹みて天照大御神の御開運を祈り奉る ― この祈りにつきます」と仰しゃいました。
以来、本教にあって「御開運の祈り」との名のもとに、この祈りは最も短い詞(ことば)からなる祈りながら、最も大切な崇高な祈りとしてつとめられてきました。

昭和55年秋の教祖神ご降誕二百年大祝祭に、時の神宮大宮司二條弼基様ご夫妻のお供をして参拝された幡掛正浩、後の少宮司(神宮引退後、本教学事顧問)は、「かねて教祖様の“御開運の祈り”のいわれも尊きことも存じておりましたが、大教殿で皆様が心ひとつにこの祈りを祈られたとき、これぞ神道の祈りと心底感銘いたしました」と語られました。

今日、「アマテラスオオミカミ」は、本教はもとより伊勢神宮でも「天照大御神」と記しますが、教祖神が筆を執られた御神号は、ほとんどが「天照皇太神宮」です。
教書の中の門弟に宛てられたお手紙にある御神名は、多くが「天照太神」そして「天照大神」です。
申し上げるまでもなく、本教は、教祖神ご自身がお日の出を拝む「御日拝」によって起死回生のおかげをいただいて本復され、「御日拝」によって天地一体、神人一体の一大神秘体験を経られて立教なった神道教団です。
教祖神にいまわの御日拝させたのは、幼い頃からご両親と毎朝手を合わされてきた“お天道様信仰”です。
すなわち、わが国では神代の昔から、朝日に手を合わせて一日の無事を祈る“お天道様信仰”と、夕べに親先祖の霊様に感謝の祈りを捧げる“先祖信仰”が、連綿と続いてきました。
赤木忠春高弟の詠んだ
「親の親その親々をたずぬれば 天照します日の大御神」
は、本教の信仰の基幹となるところであるとともに、日本人が古来培ってきた“深根”ともいえる信仰を示したものです。

はるかなる太古の昔、この国、その名も日本国を統一された大王を、徳をもってひとつの国となされたその徳こそ、日の神天照大御神の御心を体現された方と崇め尊んで「天皇」と申し上げるようになったと拝察します。
天照皇太神のこの“皇”はまさに皇祖神を表し、この天照皇太神の鎮まるところとして伊勢神宮があるのです。
歴代の天皇陛下は、即位されますと大嘗祭(だいじょうさい)という神秘の御祭りを厳修されて、この伊勢神宮に鎮まります天照皇太神の御分霊を神迎えされます。
そこに鎮まった御神霊こそ天皇霊(天皇魂)と崇められる陛下の大御心なのです。

天皇陛下はお日様に象徴される御徳を体した方であり、その皇太子は、今に敬称としていわれる「日継ぎの御子」なのです。

このように「天照大御神」は、お日の出のお日様に顕現される「天地の親神たる天照大御神」であるとともに、私たち日本人にあっては天皇陛下の天皇霊すなわち大御心のよって来る皇祖神たる「天照皇太神」なのです。
伊勢神宮は、「天照大御神」とご一体の「天照皇太神」のお鎮まりになる御社であり、教祖神がご染筆の「天照皇太神宮」はまさに伊勢神宮そのものであります。
私たち黒住教の道づれは、毎朝の御日拝において、天照します日の大御神を通して天地の親神天照大御神、さらにご一体の教祖宗忠神を拝し拝みます。

「御開運の祈り」は、そういう意味で“お天道様信仰”と“先祖信仰”の二つにして一つなる祈りなのです。
すなわち、天照大御神のお働きがあればこそ、地球上のありとあらゆるものがその分に応じて存在でき、生きとし生けるもののすべてがこれまたその分に応じて生かされて生きている。
そのお働き、ご神徳の永遠なること、この弥栄を祈り、このご神徳に一人でも多くの人が目覚め、感謝の誠を捧げるようになることを願う祈りです。
そこに真の世界の大和もあるとの確信から、この祈りは世界平和の祈りなのです。

また同時に、わが親をはじめご先祖の霊様方、ひいてはその集約され象徴でもある皇祖神のますますのご守護を願い祈り、その弥栄、ご平安を祈ることなのです。
お互いのわが家、わが住まう地域、わが国日本の弥栄、皇室の弥栄、まさに開運を祈る祈りです。
この思いは伊勢神宮の大御前に詣でたとき最も顕著になります。
教祖神の御手振にならうという感動と相まって、天照皇太神=天照します日の大御神=天照大御神が「一つとなった大御神様」に、まさに“お目通り”する感激をお参りのたびごとに新たにすることです。

  「神といい仏というも天地の 誠の中にすめるいきもの」

この御神詠のごとく、私たち日本人にとっては、親、先祖の霊様たる神々、仏様方、八百萬の神々はこの「一つとなった大御神様」という「天地の誠」の中に住めるいきものとして私たちを守りお導き下さっているのです。

それにしても、このように「天照大御神の御開運を祈る」という、稀有な尊い祈りを、私たちは最も大切な祈りとしていただきつとめていること、まことに有り難い極みであります。

《本日の御教え》
  天照らす神の御徳のまさるとし いく末ながく子こそつよかれ(教祖神詠)

| | コメント (2)

« 2007年12月 | トップページ | 2008年2月 »