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2007年9月

第二期・養心塾

第二期・養心塾

28日(金)夕方から本日30日(日)にかけて、第二期(秋のコース)『神道山・養心塾“道のいろは”』“いの講”が開講されました。

この養心塾は、その名の通り“心を養う”ことを目的として今年より開講されたもので、春と秋の2コースが設けられ、それぞれ2泊3日の日程が“い”“ろ”“は”と3回ずつ行われます。

第二期・養心塾

春の養心塾を終え二期目となる今回は、残念ながらお天気に恵まれず、土曜日の日拝は日拝所で参拝することが出来ましたが厚い雲のため両の目でお日様を拝むことが出来ず、今朝は雨のため大教殿前殿での日拝式となりました。

しかし、参加された受講生たちはさすが“お道人”。

目には見えなくても、昇る朝日を心中で拝み、それぞれが有り難いお心を捧げているように、後ろに座っていた私には受け取れました。

といいましても、この養心塾、一番のメイン教主様・副教主様と共々にここ神道山でお日の出を拝むことだと思います。

次回は、神道山ならではのお日様が一緒に拝めたら良いですね。

なお、次の“ろの講”は10月12日から14日、“はの講”は11月16日から18日、それぞれ金曜日から日曜日までの2泊3日です。

“いの講”を受けていない方でも、途中から参加、受講できます。

どうぞ一人でも多くの方が教祖宗忠神の御教えに触れ、有り難い開運の道を歩まれることを願います。

さて、明日からは衣替えです。

平成19年も残すところ3ヶ月。

感謝の心で過ごしましょう。

《本日の御教え》
  天照らす神の御徳を世の人に 残らず早く知らせたきもの(教祖神詠)

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三代様

三代様

本日は、三代宗篤様の御昇天日に当たり、大教殿・祖霊殿第六代宗晴教主様ご斎主にて“三代様正辰祭”が執り行われました。

三代様

雲一つない秋晴れの中、大元家の家族、親族、黒住教本部当局の皆様のご参拝をいただき、執行された正辰祭(年毎の式年祭)。

明治という新政府成立により、宗教界にも厳しい風が吹き荒れる中、わが教団を率いられた三代様。

教務多用の中を上京、明治3年から5年まで前後3年の長い間滞在され、わがお道の名教たるゆえんを力説し、教団組織の認可を得るべく猛運動を続けられた三代様。

ここに、本日の祭典で奏上された告辞を掲載し、三代様に敬意を表します。

三代様

 

 『故黒住宗篤命正辰祭告辞』

此の祖霊殿に斎い鎮め奉る黒住教管長故黒住宗篤命の御前に 黒住教教主黒住宗晴 謹み敬いも白さく
今日はしも汝命が教祖大神の第三代の道統を受継ぎ 神道の源流を歩む此の大御道を宣べ伝えんと乞願いて 道の魁けとや身も棚知らに勤め恪はぎ給いて 別派独立 大元宗忠神社の建立を始め 数多くの偉大き御功績を立て残し給い 吾教団の礎を築き給いて 天に昇り給える其月其日にしあれば 正辰祭厳しく仕え奉らんと 大元家の家族親族 本部に事務司人が参来て 御酒御饌種々の幣帛を供え奉り拝み奉る状を 吹鳴らす笛竹の音の和楽に聞食し諾い給い 教祖大神の御手引のまにまに生通しの道の楽を受け給いつつ 教団の守護の神として家族親族を始め道連達の上を守り恵み給い 及「ありがとうございます推進・祈りの集い」もて伊勢神宮式年遷宮奉賛につとめつつ 平成二十六年の立教ニ百年大祝祭に向いて歩む教団の種々なる運営の上に御力を添え給い 霊ながらに幸わい給えと 謹み敬い告げ奉らくと白す


三代様

さて昨日でお彼岸は終わりましたが、昨昼友人に依頼され、岡山市内の“笠井山霊園”墓前祭に行ってきました。

ここは、岡山でも絶好のロケーションの霊園で、晴天の中お祓いを奏上させていただき、まさに心晴れ晴れ!

気持ちの良い一日を過ごさせていただきました。

やっぱり墓参りは良いですね!

有り難うございました。

《本日の御教え》
  姿なき身とはなるとも天地の 誠の道のさきがけやせん(三代様詠)
  身も我も心も捨てて天地の たった一つの誠ばかりに(教祖神詠)

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十五夜

十五夜

昨夜は見事な“中秋の名月”でした。

全国的に快晴で、各地でお月見ができたと聞いています。

皆さん、優雅にお月見会はできましたか?

古来、この日には米粉で作った月見団子や季節の初物、ススキなどを月に供え、豊作を願う行事として、また収穫の前祝いとしてお月見をします。

初物のお供えに葡萄を入れるのも縁起が良いとされています。

葡萄はツル性の植物なので、「月と人の絆が強くなる」と縁起を担いだためだそうです。

またお供え物は、月から見て上手にあたる左側に置くという決まりもあるそうです。

でも実際には、昨夜の月は月齢13.6と満月には少し足りないんだそうです。

まぁ、でも、心洗われるお月さまでしたね。

写真は、我が家の天体望遠鏡の覗き窓に携帯電話を押し付けて撮影しました。

案外きれいに撮れたのでホッとしましたが、望遠鏡なので左右が逆になっています。

まぁ、それぞれのお宅で、思い思いに秋の風情を満喫されたことと思います。

秋ですねぇ。

《本日の御教え》
  玉鉾の道の御国にあらわれて 日月とならぶ宗忠の神(孝明天皇御製)
  闇きよりくらきに入よ人心 月は誠の空にこそすめ
  月は入り日の今いずるあけぼのに 我こそ道のはじめなりけれ
  天照らす神のみ徳を知る人は 日月とともに生き通しなり
  露ごとに月はやどれど大空の 誠の月は一つなるらん(教祖神詠)

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彼岸の中日

彼岸の中日

昨日9月23日は“秋季祖霊祭”の日でした。

秋分の日を中日として、前後3日を加えた計7日間を彼岸といいます。

彼岸は、インドや中国にはない日本固有の行事で、聖徳太子の時代に始まったという説があり、「迷いの世界(現実)から悟りの世界へ到る」という意味をもつそうです。

春分と秋分には太陽が真東から昇り、真西に沈むため、「西方浄土」の考え方から「夕日を拝むと特に功徳が高い」といわれ、先祖の供養をする日になったといわれています。

一説には、まだ神道とも仏教ともいっていなかった昔、我がご先祖様たちはお日さまと共にあり、“日拝み(ひおがみ)”が“彼岸(ひがん)”になったともいいます。

まぁどちらにしても、日本固有の、日本人ならではの祖霊の日。

皆さんは、自宅の霊舎(仏壇)に感謝の誠を捧げることが出来ましたか。

家族揃って、お墓参りに行きましたか。

戦後、忘れ去られた悪しき1つである“先祖との絆”。

今、本腰を入れて取り組んでいかなければ、これからますます中身の無い日本になりますよ!

《本日の御教え》
  わがわれと思うわが身は天のわれ わがものとては一物もなし
  日の本に生まれながらに日を知らず 枝葉にともすひをかりて見る
  水上は清き流れの末なれど 世渡る舟に水のにごれる(教祖神詠)

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スーハーダイエット

スーハーダイエット

“暑さ寒さも彼岸まで”といいますが、今日も相変わらずの暑さです。

気が付いたら、一昨日の9月20日は“勤番のひとり言”を始めてちょうど丸1年の記念日でした。

すっかり忘れてました。

こんなマイペースな私ですが、今後ともよろしくお願いします。

さて、巷で話題のダイエット用品。

気になったので、ネットで手に入れました。

腹式呼吸健康ダイエット“スーハーダイエット(強さ調整機能付)”。

これを口にくわえて、1日30回スーハーするだけで、誰でもダイエットができるそうです。

ちなみに、裏面に使用方法が載っているので、ついでに紹介します。

STEP1
背筋を伸ばし肩の力をぬいた姿勢で本体をくわえ、鼻から息を吸い1〜2秒間停止してから、ゆっくりと息を吐きます。
このときお腹に意識を集中させ、お腹をへこませるように吐き切ってください。
(息を吐き出すとき頬を膨らマませないようにして手のひらをお腹に当ててお腹の力で息を押し出すようにします。このとき、本体の排気口から「シュー」と排気音が出るように吐くのがコツです)
息を吐き終わったところで再び同様に息を吸い込み、吐き出します。
これを30回繰り返します。
最初連続して続けることが難しいときは2〜3回に分けても結構です。

STEP2
息を吐く強さを調整する機能がついています。
初めて使用するときは「弱」にして慣れてきたら「中」又は「強」にしてください。

そうです。

腹式呼吸をすれば、ダイエットになるというのです。

実際にくわえてみると…。

なんとも間抜け顔。

中国製なのでちょっと不安ですが、せっかくなので、しばらく使用してみたいと思います。

結果は、ご自分の目で…。

ところで、以前腹式呼吸について掲載させていただいたことはご存知でしょうか。

黒住教の三大修行である“日拝修行”“ご陽気修行”“お祓い修行”は、全てこの腹式呼吸で成り立っていると言っても過言ではありません。

さて、いよいよ明日秋分の日は“祖霊祭”の日です。

ご先祖様にお目通りし、感謝の心を捧げましょう。

《本日の御教え》
  我が我と思う我が身は天の我 我がものとては一物も無し
  有り難たや我日の本に生まれきて その日の中に住むと思えば
                                                                     (教祖神詠)

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70歳

70歳

本日は9月18日です。

そうです。

今日は、黒住教第六代黒住宗晴教主様70回目のお誕生日です。

70歳

毎年恒例の“お誕生日会”が今夜神道山で行われ、大元家の皆様をはじめ黒住教本部職員ならびにその家族の方々に祝福され、終始笑みの教主様でした。

さて70歳といえば、孔子「我七十にして己の欲するところにしたがいて規を超えず」を思い出しますが、それはさておき、教主様は相変わらずお元気に日々の御神務をおつとめ下さっています。

歴代の教主様を振り返りますと、物質的(黒住教は生き通しですから…)に見たら、一番長命の現教主様です。

人生の半分を“黒住教主”という立場で、常に、休むことなく我々を導いて下さっています。

その責任の重さは、私たちには計り知ることのできない大変な任務であろうと推測します。

しかし、そうした悩み、苦しみを口に出すことなく、常に温かく私たちをお導き下さる教主様。

本当に有り難うございました

まだまだご活躍いただき、いつまでも我々の人生の目標とさせて下さい。

そして健康面には十分にご留意いただき、今後も温かくご指導、ご鞭撻下さい。

本当におめでとうございます。

そして、有り難うございます。

そして、やっぱり有り難うございました。

《本日の御教え》
  日々に朝日に向かい心から 限りなき身と思う嬉しさ
  天照らす神もろともに行く人は 日ごと日ごとに有り難きかな
  いつまでも生き通しぞと思いなば 月日のたつもおもしろきかな
  一を知る人こそ一よよろずよの 命を照らす日の本の人
  目を開けて空仰ぎ見よ仰ぎ見よ 天照る神の道は一筋(教祖神詠)

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日拝団参

日拝団参

昨日より一泊二日、第6‐2教区鳥取県・尾田中教会所(塩川萬秋所長)の皆さんが神道山に宿泊されました。

この度の目的は祝祭御礼“日拝団参(団体参拝)”です。

そうです。

当教会所は、今年の3月18日に教主様をお迎えして“開講130年・御遷座30年記念祝祭”を無事有り難く斎行し、その御礼に沢山のお道づれと共にお参り下さったのです。

大教殿でおつとめさせていただいていて、一番嬉しいのは、こうした御礼参りです。

こちらまで、有り難い気持ちになってきます。

しかも、今回は私が随行させていただいた教会所ということもあり、嬉しさ2倍!

昨夜は、名物の“大元なべ”をご一緒にいただき、尽きぬ話の花が咲きました。

その時のお酒のおかげでしょうか。

“御神酒(おみき)あがらぬ神はなし”

しっかりと“祓い”ができたのでしょう。

昨日の“お日待御日拝”は、台風11号の影響でしょうか。

日拝所から拝む東の空は厚い雲に覆われて、両の眼でお日さまを見ることは出来ませんでしたが、今朝は天気予報を覆し、神道山ならではお日の出を拝むことができました。

本当に有り難いことです。

お参りの皆さんの心が一つになり、こんなに大きなおかげをいただきました。

皆さん、おかげに満ち満ちた笑顔で、楽しげに次の目的地である京都の神楽岡・宗忠神社に旅立たれました。

また本日は、三連休の最後の日ということもあり、各地より沢山の参拝をいただきましたが、その中で10月に結婚する若いカップルが参って来ました。

藤原徳行大教殿司教斎主で、御神前に“結婚奉告祝詞”が奏上され、二人の玉串奉奠がなされましたが、こうした気持ちも嬉しいですね。

事後報告が多い中、まずは教祖宗忠の神様に…。

心が暖かくなります。

残暑も重なり、体力的にはいっぱいいっぱいでしたが、それ以上に、我が心に栄養をいただいた一日でした。

有り難うございました。

《本日の御教え》
  何事もいうべきことはなかりけり ただにこにこと笑うばかりに
  目を開けて空仰ぎ見よ仰ぎ見よ 天照る神の道は一筋(教祖神詠)

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祈れくすれ

祈れくすれ

まだまだ、残暑厳しい今日この頃です。

「天照らす神の御稜威の暑さにて 汗の出るのもいと心地よし」

教祖宗忠神ご在世中、直門の時尾宗道高弟はこのように詠まれました。

夏が暑いおかげで豊穣の秋を迎えることが出来ます。

もう秋は目の前ですよ。

さて本日は、先代の五代宗和教主様の説教集『道に住む』より“祈れくすれ”をご紹介します。

  祈れくすれ

信心している人は病気になっても、医師にかかるな、薬も用いるなというように説く人もあるが、昔から“祈れくすれ”とあるがごとく、教祖の神様にお願いして安らかな気持ちで、今日の進んだ医療を受けるのは、治療効果が上がりこそすれ、決して間違ったことではない。
お道では「天地いっぱいの御徳」と教えられているように、医術も薬も一切がご神徳を離れたものではないのである。

かつて教祖神ご在世のころ、ご高座から「この間、ある人から聞きました。チサの根の黒焼が歯痛の妙薬でありましてよく効くそうでございます」と歯の痛み止めをご披露になった。
これを聞いていた門人の一、二の者は「お道に入れば、どんな難病でもおかげを受けて癒えますのに、大先生が薬をお勧めになるのは、心外に存じます。どうかこれからはおっしゃられないように」と申し出た。
門人たちの言うことをにこにこしながらお聞きになっていた教祖神は「改めよとなら改めてもよいが、お道嫌いで難儀をしているような人があれば、助けてあげればよいと思って話したのだが…」とお答えになったので、お弟子たちは教祖神の深い慈しみのお心に感銘して、引き下がったと伝えられている。

今の世の中、この“祈れくすれ”“くすれ祈れ”になっている気がします。

私自身、子どもが風邪をひいたらまず病院に連れて行き、それから自宅の御神前で“お祓い”をあげ、教祖の神様にお願い申し上げます。

別に自己弁護する訳ではありませんが、この祈れくすれが逆になっても、それはそれで良いのかなと思います。

ただ最も大事なことは、常日頃申し上げています“日々の感謝”です。

“生かされて生きている”喜びに感謝できてはじめて、教祖神より大きな“おかげ”をいただくことができるのではないでしょうか。

ちなみに“病は道の入口”との御教語もあります。

病気になって、怪我をしてはじめて、普段元気に健康に生活をおくることの出来る有り難さを実感するものです。

どうぞ日常生活において、感謝のできる人であって下さい。

《本日の御教え》
  我ありと思う心を切りはらい 誠の道に入るぞうれしき(教祖神詠)

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備前の陶匠・藤原建③

備前の陶匠・藤原建③

  “祖母 世為さんのこと”

建さんの黒住教信仰の元は、祖母世為(せい)さんの信仰にありました。
世為さんは、長男の静支さんや次男の啓さんをはじめ次々と子宝に恵まれましたが、50歳ぐらいの頃、その当時“血の道”といわれた婦人の病で床に就き明日をも知れない重篤な状態に陥りました。
高熱にうなされる中で、世為さんはその部屋の御神前に向かって拝み続けていました。
そうしたある日いつものように“大祓詞”を唱え続けていたとき、御神前の「天照大御神」「大」の字が真っ赤に燃え火の玉となって世為さんに向かってきました。思わずその火の玉を大きく口を開けてごくんと飲み込んだ世為さんは、そのまま気を失ってしまいました。
こんこんと眠り続けた世為さんが何日かぶりに目覚めたとき、熱は下がり病は完全に癒えていたのです。
世為さんのこの奇跡的な本復は村中に知れわたり、黒住教信仰に励む人が続いたといわれます。

この世為さんが、建さん27歳のとき老衰のため昇天しました。
その日、長らく床に就いていた身ながら、紋付きに身を正し、御神前を背に寝床の上でしたが一族に挨拶しました。
そこに集まったわが子静支さんや啓さん、また建さんや雄さん敬介さんら孫たち一人ひとりに言葉をかけ、終わって「それでは私は宗忠の神様のもとへ参ります。みんな、有り難う」と言って深々と頭を垂れました。
一同も深くお辞儀しました。
顔を上げても世為さんはそのまま。
再び頭を下げた孫たちの中で、建さんが飛ぶように世為さんのところへかけよったとき、すでに事切れていた世為さんでした。
「人間、こんな死に方ができるのか…。信仰はすごい」。
若い建さんは悲しみの中にも深く感動し、このことが建さん自身の黒住教信仰の元となったのでした。
                                                                (「私の建さん」より)

備前の陶匠・藤原建③

現在、神道山・東の広場には、藤原建氏の顕彰碑が建ちます。

そこには、次のようにしるされています。

  藤原建氏 顕彰碑

君ハ故黒住教穂浪教会所副所長藤原静支氏ノ三男トシテ大正十三年七月十二日備前市穂浪ニ生マル 昭和二十一年叔父啓氏ノ下ニテ備前焼ヲ始メ陶陽魯山人両師ニ学ブ 昭和三十一年築窯独立 五代宗和教主ヨリ天心窯ト命名サル 昭和四十八年岡山県重要無形文化財ニ指定サル 翌四十九年大教殿ノ千木鰹木棟瓦ヲ焼成奉献 昭和五十二年十一月二十五日昇天 享年五十四 同年勲五等瑞宝章ヲ贈ラル

備前の陶匠・藤原建③

この顕彰碑は、大教殿の大屋根を見守るように建っています。

五代宗和教主様と共に…。

いつまでも、いつまでも…。

《本日の御教え》
  有りと見て無きこそおのが姿にて 無き姿こそ生き通しなれ
  天照らす神の宮居に住む人は 限り知られぬ命なるらん(教祖神詠)

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備前の陶匠・藤原建②

備前の陶匠・藤原建②

   私の建さん

建さんには土のにおいがします。
今、たんぼから上がった農夫のような、おおらかさと、力強さがあります。
あの子供のような笑い顔とともに、ふとのぞかせる寂しさは、建さんがまことの生き方をしているあかしのように思われます。
建さんには、母親が子供をだきしめたくなるようないじらしさと、子供が父親に頼りすがるようなたくましさが同居しています。
作者の魅力ある人となり、それがそのまま作品に出ているところが、建さんの焼物のすばらしさでしょう。

黒住教第六代宗晴教主様は、以前地元山陽新聞社発刊の「藤原建作品集」の中で、上のように語られました。

備前の陶匠・藤原建②

また、「建さんにとって、五代教主は父親であり、また母親であり、まさに神様のような存在で、『わしが長男で、宗晴さん、あんたが次男』が口ぐせだった」と、後日教主様は語られています。

備前の陶匠・藤原建②

只今、黒住教宝物館・まることセンターでは“藤原建 逝きて三十年展”が開催されています。

備前の陶匠・藤原建②
No.25 徳利(初窯)

備前の陶匠・藤原建②
No.15 三角花入(初窯)

備前の陶匠・藤原建②
No.9 手桶

備前の陶匠・藤原建②
No.5 窯変花入

備前の陶匠・藤原建②
No.6 窯変花入

個人的に、気に入った作品をご紹介させていただきました。

展覧会には約50作品がならび、見る人に感動、感激を与えています。

どうぞ、神道山にお参りの際は、ぜひ宝物館に足をお運び下さい。

ぜひ本物の作品を、ご自分の目で確かめて下さい。

暖かい気持ちになりますよ。

《本日の御教え》
  天地の中に照り行く御宝を 今ぞ取り得し心楽しき(教祖神詠)

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備前の陶匠・藤原建①

備前の陶匠・藤原建①


朝の雨もあがり、爽やかな秋晴れの1日となりました。

さて、岡山県重要無形文化財指定備前焼作家故藤原建氏

今年は、建氏が昇天されて30年になります。

大正13年7月12日、現岡山県備前市穂浪に生まれた藤原建氏は、青年期、叔父藤原啓氏、また金重陶陽氏という後に備前焼の人間国宝に認定される先輩、また陶陽氏の令弟金重素山氏の指導を受け、さらに北大路魯山人氏のもとでも修業に励み、昭和31年に独立、築窯しました。

土を活かし、窯を活かし、火を活かす備前焼の正道を全うされたその作品は、味わい深く、力強く、品格高く、この世界の将来を担う作家となるに違いないと嘱望されていた建氏でしたが、昭和52年11月25日、53歳の若さで逝去されました。

備前の陶匠・藤原建①

ところでこの藤原建氏が、黒住教本部・大教殿の大屋根にある“千木・鰹木・棟瓦”を命懸けで作成し、献納して下さった事実をご存知でしょうか。

黒住教宝物館(まることセンター)では、ご命日の30年祭を機に、前後半年間、回顧展ともいうべき展覧会を開催しています。

その名も“藤原建 逝きて三十年展”。

備前の陶匠・藤原建①

この展覧会を記念して、2冊の冊子が発刊されましたが、そのうち第六代黒住宗晴教主様が執筆された『私の建さん』の中から一文紹介させていただきます。

    

         “大教殿大屋根を備前焼で!!”

「宗晴さん、わしは神道山にできる大教殿の屋根を備前焼でつくりたいんじゃ。ばあさん(藤原世為さん)やおやじ(藤原静支さん)の信仰には及ばんけど、少しでも近づきたいんじゃ。管長様(五代教主)にも喜んでもらえると思う。そりゃ、命懸けのことになる。でもなあ、大教殿の屋根をやって死ぬんなら本望じゃ。わしはやりますぞ」。

黒住教が、宗忠教祖誕生の地、立教の地大元から、折から押し寄せてくる都市化の波を避け教祖立教以来厳修されてきた旭日を拝む日拝の最適の地として、現在の神道山に教団本部を移転しようとしていた昭和44年、建さんからの発言がありました。
話し合いを重ねた揚げ句、“雨垂れ坪”500坪もの大屋根すべてを備前焼でというのは到底無理な話、ならばせめて千木鰹木棟瓦をということになりました。

日頃、窯焚きに際しても火入れ式を必ずつとめ、しかも干潮から満潮に至る時間内に火を入れるなど、いわば「窯の神、火の神」に対する謙虚な心を持ち続けていた建さんは、信仰の人らしくその作行きもいわば自然体を大切にしていました。

しかし、大教殿大屋根に挑んだ建さんは人に見せたことのない緻密な計算、研究に没頭しました。
海抜は120メートルそこそことはいえ、大教殿の建つ所は山の中、風雪に耐え、温度差にも影響を受けない柔軟な強さを持った備前焼でもって千木鰹木棟瓦をつくらねばなりません。
建さんは備前焼でできた閑谷学校の屋根瓦、児島の由加神社の鳥居などを調査、分析し土づくりに精を出しました。

さらに全長23メートルの大窯を築き、試験焼きを重ねました。
しかもそれはすべて成功し現在の岡山国際ホテルロビーの大壁面となっているのですから、改めてさすが建さん!!の思いが募ります。

80トンに及ぶ備前の土を使い複雑な形の千木、棟瓦の成形に臨み、最後に鰹木の両端を押さえる直径90センチの大作に挑みました。
実際に使うときが90センチということは成形のときは110センチで、ロクロをひく建さん自身がその迫力で振り飛ばされそうになったと語っていました。
必要な合計18個のこの大作は、成形に際して約3倍の数をつくり、窯入れまでにもひび割れし、窯から完成品として出てきたのはぎりぎりの20個でした。
この大窯での窯焚きだけでも5回、まる2ヶ月、まさにすべてを捧げつくした1年半でした。

昭和49年10月27日の大教殿竣工、大元からのご遷座を前に、4月から板状の玄昌石を3枚葺きにする大屋根づくりに併せて、建さんの丹精込めた千木鰹木棟瓦の取り付けが始まりました。
毎日のように備前市からかけつけて来て、大屋根に上がって取り付け作業を指導する建さんでした。

5月12日、五代教主一年祭の前日に“いらか祭”という名のもとに大屋根の完成、工事の無事を祈る神事が執り行われました。
この日、神事が終わっても斎場となった現在の日拝どころにひれ伏して、目前の千木鰹木を拝み続ける建さんの姿は、私たちのまぶたの裏に焼き付いています。

備前の陶匠・藤原建①

《本日の御教え》
  いや高き雲居に光る君が世の 天が下をも照らし給えよ
  難しく思う心ぞ地獄なり やすく嬉しき心極楽(教祖神詠)

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長月

長月

ここ数日、朝夕が涼しくなり、そよぐ風も秋めいてまいりました。

いよいよ日本の秋を感じる季節の到来です。

さて、秋といえば何を思い浮かべますか?

運動の秋、読書の秋、食欲の秋、お月見、紅葉…。

どうぞ素敵な秋をお過ごし下さい。

ちなみに、古来9月のことを“長月(ながつき)”と呼んでいましたが、その語源はさまざまで、次第に夜が長くなる季節なので“夜長月”といいそれが短くなった説や、太陽暦の10月上旬から11月上旬にあたるところから、雨が多く降る季節なので“長雨月”が転じて長月となったとも云われています。

さて本日は、夏休み最後の週末ということもあり、毎月1日午前10時から執り行われる“開運祭”も、家族連れのお参りが目立ち、長い夏の御礼(感謝)と二学期からの心身健固の御祈念も終日続きました。

また、小さなお子さんが賽銭箱(さいせんばこ)にお供えし、小さなおててを合わせて一生懸命お祈りする姿も多数見られ、深い感銘を受けました。

どうして子どもってあんなに無邪気で純粋なんでしょう。

何気ない1つ1つの動作にも、胸を打つ場面が多々あります。

お互い、かくありたいものですね!

ところで“賽銭”の意味をご存知ですか?

賽銭の「賽」の字は「むくいる。神様から福を授けられた御礼として祀りをする、お礼参りをする」という意味があります。

今の世の中はそこのところがへこさかになり、“苦しい時の神頼み”ではありませんが、病気になって、また怪我をしてはじめてお参りされる方が多いように感じます。

勿論それを否定する訳ではありませんが、黒住教を信仰するお互い、常日頃より日々の感謝の祈りに徹していくところに、開運の道が自然とひらけて行きます。

この秋も、自分の親、ご先祖様、そして教祖宗忠の神様に、毎日感謝の祈りを捧げ、有り難いおかげに満ち満ちた日々を送りましょう。

《本日の御教え》
  親の親その親親をたずぬれば 天照らします日の大御神
                                                                (赤木忠春高弟詠)
  今年より三つ子となるも有り難し 赤子となればなお有り難きかな
  花咲きて実らぬ春の多かりき 時きて実る秋のよそおい (教祖神詠)

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