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2006年11月22日 (水)

誠の心

誠の心

ただ今、12月17日(日)に東京大教会所で執り行われる「黒住教東京開教130年・大教会所ご遷座70年記念祝祭」の祝詞作成の真っ最中です。
東京大教会所は私自身ご縁の深い教会所で、大学在学中、当教会所の青年連盟支部長として、公私ともに大変お世話になった(お金がない時にご飯を食べさせてもらったり、渋谷で飲んで泊めていただいたり…)ところであります。
諸事情(笑?)から都合7年間東京に在住しましたが、その間連盟活動を通して「カレーパーティー」「大祭バザー」「新年会」「忘年会」等々、振り返ると当時の同世代と過ごした楽しい思い出がよみがえってきます。
そうした思い入れの深い教会所だけに、祝詞作りにも一層熱が入ります。

誠の心

さて東京大教会所の歴史をさかのぼって調べていきますと、歴史上有名なある人物に突き当たります。
その人物とは、イギリスのネルソン提督とともに“世界の海軍二大名将”として知られる東郷平八郎元帥です。
昨年は日露戦争開戦100年の節目の年でしたが、東郷元帥の母君とご婦人は黒住教のお道づれ(信者)で、事有る毎に当時麻布にあった教会所(現東京大教会所)に参拝され、初代所長岡田敏子先生の薫陶を受けられていました。
日本海海戦に及んで、東郷元帥の“武運長久”を祈願するため教会所に参られたご母堂に対して、岡田所長は必死のご祈願の後、「東郷さんお一人のためのお祈りではございませんよ!」と言われたといいます。
岡田所長のお祈りは、教祖神より連綿と続く、お国の大事を祈るものでした。
この日本海海戦は、明治38年(1905)5月27日に対馬海峡に現れたバルチック艦隊を、東郷元帥率いる日本連合艦隊が撃破した日露戦争の中で最大の海戦です。
戦闘開始に当たり、東郷元帥は「皇国の興廃この一戦にあり。各員一層奮励努力せよ」との信号を掲げ、敵前において危険を顧みず、“身も我も心もすてて”、その極めて優れた戦術判断により、日本を大勝利に導いたのであります。
また元帥の尊い誠の心は、日本側の奇跡的な勝利が決まるやいなや発せられた「海に浮かぶロシア兵を一人残らず救え」との厳命からも明らかで、救出されたロシア兵たちは、道後や雲仙などの温泉でともに戦った兵士として手厚く治療、介護を受け、療養して順次母国に送還されたのでした。
歴史書にも、こうした元帥の精神力を称える一文が記されていますが、戦艦三笠の艦上で、教祖宗忠神の御歌(本日の御教え)を吟じ続け、誠の心に徹し切ろうとされた元帥のお心を尊く誇りに思います。

この言い伝えを裏打ちするかのように、東郷元帥は大勝利の後、連合艦隊を率いて伊勢湾に向かわれ、上陸して伊勢神宮に参拝されました。
そして帰宅され最初に筆をとられたのが、「天照大御神」(黒住教宝物館所蔵)「宗忠神社」(上記写真・黒住教宝物館所蔵)です。
ちなみにこの「宗忠神社」の書は、お道づれの献納により、“社名碑”としても、大元・宗忠神社の境内で温かく参拝者を見守って下さっています。

戦争はあってはならないことですが、人間が生死のぎりぎりのところに立った時、その心根が良くも悪くも最も端的に現れるのが戦争の場でもあります。
東郷平八郎元帥から一兵卒に至るまでが、“誠”を貫いたことが、ここに明らかにされました。

《本日の御教え》
  身も我も心もすてて天つちの たったひとつの誠ばかりに (教祖神詠)

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